Motomachi Yakushido 手彩色写真絵葉書「清正公堂」「元町薬師堂」に狛犬がいた

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横浜手彩色写真絵葉書図鑑で「清正公堂」「元町薬師堂」を見て驚いた。境内に狛犬がいるではないか!
よく見ると清正公堂の絵葉書に写っているのは狛寅だ。

私が清正公堂へ訪れた時狛寅は不在だった。元町薬師堂は未訪である。

元町薬師堂について調査したところ、当時、増徳院薬師堂は現在の元町プラザの一角にあり、関東大震災で全焼し、その後増徳院は南区平楽に再建、薬師堂は元町に再建された。増徳院の墓地は現在の「外国人墓地」のはじまりだった。
また、清正公堂は火災や関東大震災、横浜空襲で焼失し、その後再建された。

絵葉書の狛犬は現存している可能性はほとんどないが、いずれ、現在の増徳院と薬師堂を探訪しよう。

元町薬師堂
元町1丁目13番地
毎月8日と12日に縁日が開かれ、その賑わいは明治30年頃に最高潮に達した。外国人との間で情の通じるものもでたことから『色薬師』とも呼ばれていたが、大正に入るとその賑わいも廃れていった。
明治の横浜手彩色写真絵葉書

図鑑より


薬師の絵葉書の時期は関東大震災(1923年、大正12年)より前


増徳院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

増徳院(ぞうとくいん)は神奈川県横浜市南区平楽にある高野山真言宗の仏教寺院である。 準別格本山で、海龍山本泉寺増徳院と号する。
もとは元町1丁目(元町プラザの一角)にあり、現在の横浜外国人墓地は境内墓地であった。

歴史
・大同年間(806年 – 810年)の創立と伝えられる。
・1854年(嘉永7年)アメリカ海軍ペリー提督の意向を受け、江戸幕府はアメリカ人用の墓地として増徳院の境内の一部を提供した。これが外国人墓地の始まりとなる。
・1923年(大正12年)関東大震災で全焼、1928年(昭和3年)現在地に再建される。
・1972年(昭和47年)元町に薬師堂が再建される。

所在地・交通
神奈川県横浜市南区平楽103


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Seishokodo 清正公堂 <横浜市中区>
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